特集/タネの未来と日本の農業を考える~種子に関する法制度と持続可能な種子の管理とは~ヒトとタネの関係が持続するために~種子の権利をめぐる混乱の先にあるもの

2020年05月15日グローバルネット2020年5月号

龍谷大学、コベントリー大学
西川 芳昭(にしかわ よしあき)

4月号(353号)の特集「タネの未来と日本の農業を考える~種子法廃止、種苗法改正を受けて~」に続き、種子をめぐる国際条約などの枠組み、英国等での持続可能な農業と関連した動きと、日本国内で農を支え連綿と続いてきた農村女性による「タネ採り」、熊本県五木村で、多様な品種を育て、調理し食べ続けることで品種ごとの特性を守り伝えてきた営みについて、研究者および現地で自ら携わってきた方々に紹介いただきます。

 

突然話題となった種子

1996年に国連食糧農業機関(FAO)が「種子(専門用語で遺伝資源と呼ばれる)は、土壌及び水と並んで農業と世界の食料安全保障の基盤をなしている。にもかかわらず、もっとも顧みられていない」と警告を発していたが、日本では農林水産省や一部の種苗会社関係者を除いて、私たちにとっての種子の大切さはほとんど認識されてこなかった。世界中の作物の多様性を保存するために種子の貯蔵を推進してきたデンマークの植物学者ベント・スコウマン氏が、「種子が消えれば食べ物が消える。そして君も…」と主張し、国際社会の協力の下にノルウェーの永久凍土の中に種子庫が建設された時も、日本ではほとんど注目されなかった。

私たちは、食べる物の大半を作物や家畜に頼っており、家畜の餌を含めると種子は私たちの生存に不可欠である。とても大切なものであるにもかかわらず、日常的にはその大切さはほとんど意識されてこなかった。

ところが、突然、種子に関する法律・制度の改変が断片的にメディアで取り上げられ、政治運動にも利用される事態が起こった。情報が錯綜し混乱している中で、私たちは、種子と人の関係をどのように考えたらいいのだろうか。研究員として滞在している英国の状況も踏まえて、筆者の考えを紹介したい。

品種の多様性と地域の暮らし

日本は、南北に長く地形も複雑であることから、食料・農業のための生物多様性が豊かである。作物の品種は、その栽培される地域、風土、生活、習慣と密接に結び付いて、一つの地域文化を形成している。適地において、その特性を最も発揮できるような加工法や料理法が発達し、種子は単なる農業の投入財ではなく、地域に暮らす人たちの生活文化の不可欠な要素となっている。

多様な品種を利用する農業生態系では、環境の多様性・病虫害・急激な環境変化等への適応やリスク分散が図られている。19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉は多収性を重視した単一品種栽培が大きな原因であった。品種の画一化は、効率的な生産や流通が行える半面、環境の変化が起こった際に収穫が激減する危険がある。さらに、新しい品種の育成には、素材となる多様な品種・形質が必要である。品種は地域に適応した独自の多様性を持つが、同時に、旅行・巡礼・婚姻や民族移動等、人の移動に伴って種子も運ばれ、新しい地域に適応した品種はその地域で広がる。現在の豊かな食生活は、種子が自由に旅してきた歴史が作り出した。

種子の自由に求められる制度

種子の自由が確保されるには、自給と産業、農家と企業、市民と国家というような対立ではなく、種子に関わる多様な関係者のネットワークや信頼関係こそが重要である。そもそも作物は、野生の植物とは異なり、自らの生存を人間に委ねた植物である。野生の植物は人間がいなくても持続的に存在できるが、作物は人間の手を借りなければ、その生命の維持が困難である。作物の多様性を守り、自家採種や種子の交換を続ける農家や市民だけでなく、食べ物の選択によって多様な作物を食べている消費者もともに、食料・農業のための植物遺伝資源の持続的利用に参画していけるシステムの構築が必要である。

組織や個人の創出した新しい多様性である新品種の開発努力への報酬である知的財産権の付与に過剰に反対することと、食料・農業のための生物多様性を育み守ってきた農民の権利を否定することは、どちらも農業の持続性を危険にさらすことにつながる。農家を含む多様なステークホルダーが相互依存の中で築いてきた作物と人との共生関係を持続していくことが重要である。とくに、「日本の種子を守る」「自家採種の全面禁止」等という一見単純で誤解を招きやすいイデオロギーやスローガンに固執することは建設的ではない。

むしろ、農家や市民自身によるボトムアップの種子の管理運動が連綿と続いていることを再評価し、政治権力や経済権力の奪取を目指さない、内発的な運動が続けられてきた事実に注目し、その工夫の共有が望まれる。極端な産業化とグローバル化の過程で、その強みを失った内発的な種子のシステムを再評価し、現代的に組み替えることこそが大切である。

ヨーロッパの事例から学べること

そこで、近年イギリス等で注目されている種子管理の事例を二点簡単に紹介したい。その一つが、市民自身が運営するコミュニティ・シードバンクである。この仕組みは、国際機関・国家や企業の持つ遺伝資源貯蔵庫であるジーンバンクと、農家自身がそれぞれの圃場ほじょうや納屋で採種・保全する農家圃場保全との中間に位置する施設や組織といえる。多くの場合、単に在来品種を中心とした種子を保管するだけではなく、より育種的要素が含まれていることに注目したい。農家や市民が、バンクから借り出した種子を利用し、自分のコミュニティや圃場に適応した品種(集団)を選抜していくのである。さらに、種子の大切さに対する市民の意識啓発を図るような運動と、遺伝資源の保全・品種開発の行為を相互補完的かつボトムアップで制度化している。

管理形態は異なるが、日本にも先駆け的な事例が存在する。それは、広島県農業ジーンバンクの種子の貸し出し事業である。研究機関のジーンバンクは、保存している種子の配布目的を試験研究用に限っているのに対し、広島では農家や地元企業による地域特産作物の開発を重要な配布目的にしている。種子の貸し出しを受けた人は、栽培結果の報告と合わせて、借りた種子と同量以上を返却する、銀行のような仕組みである。さらに、食と農の連携教室を栄養士会との共同で開催し、地域の新しい食文化づくりまでを見据えて、種子と人との関係を育てている。

第二の事例は、コンピューター OSのLinuxのように、作物の品種もオープンソースにしようという試みである。Open Source Seed Initiative(OSSI)と呼ばれるこの考え方による種子管理の仕組みは、長年にわたり企業による種子囲い込みの問題点を研究していた、OSSIの委員会メンバーで、ウィスコンシン大学マディソン校の名誉教授でもあるジャック・クロッペンバーグ氏らによって提唱され、賛同する主に欧米の種苗会社や育種研究者に広がっている。彼らが開発した品種の種子には、その品種に法的な知的財産権保護がかかっていないことが宣言されている。これは、伝統野菜に商標登録等の知的財産権を主張するような制度を強化しようとする運動とは180度方向が異なる。さらに、多様な品種を完全に公共財的に捉えるのではなく、一定のルールでステークホルダーを定めた資源であるコモンズ(公共財・私有財ではなく共同管理される資源または財)として管理することも注目されている。従来は、多くの政策立案者は、「コモンズの悲劇」を信じており、資源の所有者を明確にすることが資源の効率的利用の最善の手段と考えてきた。しかしながら、権利としての資源利用ではなく、コミットメントとしての資源管理の形態であるコモンズ的な種子管理も可能性のある制度として注目されている。

種子と人との関係の未来

実際に種子を採り、草の根で品種開発を行っている現場の農家や市民は、多国籍企業や国際機関による種子の囲い込みを傍観しているわけではない。同時に、反対運動を組織化・政治問題化することにエネルギーを注ぐことにも懐疑的である。日本では、種子法や奨励品種という上からの法律や制度が、品種の統制を通じて農家と品種の関わりを弱くしてしまった側面もある。このことを反省し、法律や制度で種子と人との関係を縛るのではなく、紹介した例にあるような、種子と人とがお互いの自主性を生かす、自由で多様なつながりを続けていける社会をつくっていきたい。

タグ: