日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第34回 里海をミュージアムにする黒潮実感センター―高知・宿毛湾

2020年01月15日グローバルネット2020年1月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

高知県の西端にある宿毛市は、明治維新や終戦直後の内閣総理大臣吉田茂の実父竹内綱など多くの人材を輩出した。記念碑などが多くある市内を駆け足で巡った後、宿毛湾沿いを南へ大月町の柏島を目指した。

車で40分。山の中腹を走るトンネルを抜けると、眼下に一幅の絵画のような柏島が視界に。海水浴、スキューバダイビング、磯釣りの客でにぎわう高知屈指の海洋観光のスポットだ。また、宿毛湾が豊後水道から黒潮が流れ込み、水深も深く海水交換が良いことから養殖が盛んで、柏島の周辺にはブリ、タイ、マグロなどの養殖いけすがいくつも浮かんでいた。

大堂山展望台から望む柏島

●驚異の透明度と魚種数

廃校を利用した黒潮実感センター

柏島は半島と橋で地続きになっている周囲4km、人口約360人の小さな島。目的地のNPO法人黒潮実感センターに到着した。廃校になった旧柏島中学校の校舎を利用している事務所で、センター長の神田優さんが出迎えてくれた。環境省のエコツーリズム大賞(2010年)や海洋立国推進功労者表彰の内閣総理大臣賞(2012年)など数々の賞状がさりげなく飾ってあった。

神田さんは、高知市生まれで、高知大学1年生のときに初めて柏島を訪れ、「圧倒的な海の魅力」に取りつかれたという。以来、34年間、柏島の海に関わってきた。「透明度30m」を超す海には熱帯魚やサンゴがあふれ、魚は1,150種(2013年調査)と沖縄や小笠原をしのぐ日本一の多さ。まさにダイビングの聖地だ。

神田さんは高知大学農学部栽培漁業学科を卒業し、東京大学大学院で水産学を専攻し博士号(農学)を修得。1998年に高知市から島に移り住んで準備を開始。2002年にNPO法人黒潮実感センターを立ち上げた。

全国に先駆けて里海のモデルを柏島に作ろうと、海の調査研究をベースにした環境教育や環境保全活動、まちづくりに取り組んできた。今ではよく知られる里海の定義は「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」(1998年に九州大学柳哲雄教授が提唱。環境省ホームページ)。これに対して神田さんも同じ時期に里海のコンセプトを唱え、「人が海からの豊かな恵みを一方的に享受するだけでなく、人も海を耕し、育て、守る」という積極的な人間の関与を目指した。

黒潮実感センターの「実感」が示すように、海洋生物の調査研究、海洋セミナーやシンポジウムなどの開催、学習会や体験実感学習など、海をフィールドにした多彩なメニューをそろえる。シュノーケリングで魚を観察したり、底が透明なカヌーで海中散策したりするサマースクール&エコツアーを毎夏催している。

●観光と漁業の共存図る

ダイビングガイドでもある神田さんは、地元のダイビングショップのまとめ役にもなる。国内ではスキューバダイビングの観光客が増え、漁業資源や操業に悪影響を懸念する漁業者との間にあつれきが生じていた。ダイビングの魅力を熟知し、観光客が地域経済を潤すと考える神田さんは、ダイバーと漁業者の仲介役として双方の共存を図ることにした。

そこで浮かんだのが「ダイバーが漁業者の役に立つことをすればいい」というアイデア。周辺の海域ではアオリイカが減少傾向にあったため2001年、ダイバーたちの協力を得て、長さ2.5mに切ったウバメガシの枝数十本を水深20mの海底に沈めて人工産卵床にした。するとアオリイカの白い卵嚢(7~8個の卵が入っている)が1本の木に最大1万房も産み付けられた。これを見た漁業者も神田さんのプランに納得。翌2002年から間伐材のスギ、ヒノキを使うことにし、センター、漁業者、ダイバー、森林組合の4者の本格的な活動が始まった。資金調達のため会費1万円で「アオリイカの里親」の会員を全国から募った。会員には産卵床の写真や宅配便でアオリイカ1㎏相当をプレゼントする。地元の大月小学校の児童や行政も加わり、地域ぐるみの取り組みとして大きな成果を上げてきた。

恵まれた自然環境を地域の経済活動につなげることも神田さんの重要な仕事だ。住民の物産販売「里海市」の立ち上げと積極的な参加、豊かな漁場作りへの協力など、研究者と同時に社会運動家としての顔を持っているようだ。観光客だけではなく、地元の一人暮らしのお年寄りたちが里海市の郷土料理を「昔なじんだ味だ」と喜んでくれたことに満足する地元目線もある。明治維新の精神的指導者である吉田松陰の「学者になってはいけない。実行するべし」という教えを神田さんは実践しているのだ、と思えてきた。

「柏島城下町グループ」の天ぷらの
製造

里海市は廃止になったが、参加していた人たちが独自に事業を立ち上げた。その一つ、主婦たちの「柏島城下町グループ」は地元で捕れたアジのすり身を原料にした天ぷらを製造販売しているという。

詳しく聞くと、その厨房は同じ旧校舎裏手の技術室にあるという。厨房を訪ねると3人が作業中で、揚げたてをいただいた。つなぎなどの添加物は一切入っておらず、アジの魚肉100%のおいしさ。筆者が「1枚100円じゃ安すぎるのでは」と収益を増やすための値上げを促すと「地域の皆さんに喜んでもらうのが第一なので」と欲のない返事だった。

昼食をとった食堂「魚ごころ」は、タイ養殖の規模を小さくして食堂経営にシフトした。人気のタイ丼を食べると「天然ものよりうまい」という触れ込みは本当だった。集落には採取したテングサから手作りしたトコロテンが有名な食堂「きみ」もある。いずれも小さなビジネスだが、海の幸を上手に利用している。

食後に桟橋に案内してもらった。そこから透明な海をのぞき込むと、まるで自分が海中にいるような錯覚を起こす。ネオンのように青いソラスズメダイ、10cmほどのアオリイカの赤ちゃん、メジナなどなど次々に姿を現してくれた。桟橋のへりには赤やピンクのソフトコーラルが張り付いていた。

●価値理解する人材育成

このように自然のフィールドに恵まれた黒潮実感センターだが、最大の課題は財政的な基盤が弱いことだ。神田さん以外にはパートタイマーのスタッフが1人だけ。同じ大月町にある公益財団法人黒潮生物研究所(2001年設立)が大阪の化学薬品メーカーから運営支援を受けているのに対して、こちらは民間組織なので、助成金やサポーター会員(年会費3,000円)からの支援が頼み。神田さんは冬季に全国各地での講演活動、会議出席などに飛び回って運営資金を捻出している。神田さんは「柏島の海の価値を理解し、未来に継承していく人材を育てたい」と使命を語る。

最後に案内してもらったのは大堂山展望台(標高247m)。柏島はもちろん、南に太平洋,西に豊後水道を一望する360度の絶景には感動という表現しかない。

取材後、黒潮をキーワードにして歌詞を検索してみると、村田英雄が歌う『男の一生』があった。その歌詞に「土佐のいごっそ(土佐弁で快男児などの意)黒潮育ち」とある。自らが信じる理想、主義を実現させるために精力的に動き続ける神田さんも、黒潮が育てた立派ないごっそである。

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