英国中央銀行総裁マーク・カーニー氏のスピーチ全訳

Breaking the tragedy of the horizon – climate change and financial stability

題名:ホライゾンの悲劇を打ち破る – 気候変動と金融の安定
発表日:2015年9月29日
講演者:英国中央銀行総裁、FSB議長 マーク・カーニー


※英語スピーチ オリジナルはこちら(英国中央銀行のサイト)

私は、ロイズに対して今夜この壮大な、その名を冠した「ルーム」で開催される最初の晩餐会の機会に話すよう招待いただいたことを感謝します。

ロイズは、英国の保険業界の基盤であります。一つの業界として30万もの高賃金の雇用、年間GDPは250億ポンドという直接の英国経済への貢献は素晴らしいものです。そして、経済的な貢献は、より多くのものに浸透しています。

保険は、家計、企業や投資家を、彼らがそれなしには背負うことが出来ない危険から守ることでサポートしています。さらに長期的な貯蓄と投資と同様に、生産に不可欠なインフラへ資金を供給しています。 そのユニークな視点とスキルによって、保険は金融システムを多様化し、その弾力性を強化します。

1668年以来、シティの偉大な伝統の中で、ロイズはその時代時代の危険からの保護を与え、企業が交易し、繁栄するのを助けることで英国と世界の両方に奉仕してきました。その起源である海上保険から始まり、ロイズの市場は急速に変化する世界のニーズを満たすために絶えず進化してきました。最初の超過損害額再保険(※1)はここで創出されました。

現代の大災害補償はサンフランシスコ地震後の皆様方の保険契約者の側に立とうとの決定によって生まれました(※2)。 また、ロイズは、航空保険の先駆者でもあります。ホライゾン(地平線上)に常に目を据えてロイズは世界的な保険の最前線に留まって来たのです。

今日、あなた方は世界の新しい領域で新しい種類のリスクの保険を引き受けています。 サイバーから気候、宇宙から生物種まで、そしてブラジルのクリチバから中国の成都に至るまで。そして、過去20年間のどの時期よりも挑戦的な市場環境のなかでそうしたことを行っています。

新らたなメガリスクを管理する必要性はこれまで以上に重要となっています。主要な、技術的、人口統計学的および政治的シフトと並んで、私たちの世界そのものが変化しています。私たちを取り巻く気候の変化は、保険会社、金融の安定と経済に潜在的に重大な影響をもたらします。

私は今夜、気候変動からもたらされるこれらのリスクに焦点を当てます。

ホライゾン(地平線上)の悲劇

気候変動が明確であることが国際的なコンセンサスとなりつつあります。1950年代以来、私たちの世界の変化の多くは、前例がないものです。何十年に亘ってというだけでなく、何千年にも亘って。 これまでの研究は、強い自信を持って次のことを示しています:

– 北半球では過去30年間は、アングロサクソン時代以来で最も暖かく、実際に、英国の記録上最も暖かかった10の年の内の8つは2002年以降に発生している。
– 温室効果ガスの大気中濃度は過去80万年では見られなかったレベルにある。
– 海面上昇の速度は過去2000年のいかなる時点よりも高くなっている。

気候変動は人為的なものだと裏付ける証拠が積み上がってきています。人間による推進力が、20世紀半ば以降の地球温暖化の主な原因となっている可能性が非常に高いと判断されています。自然の変動がそれを一時的に覆い隠すこともあり得ますが、10年ごとに0.2度という人間が引き起こす温暖化の傾向は1970年代以降衰えることなく続いています。

気候変動に関する科学的意見の不一致は、他のいかなる科学的な問題におけるのと同様に常にありますが、私は保険業界が最も確固たる態度をもって、気候変動を後回しにするのではなく、より早く取り組もうとする主導者であると感じています。つまり、それは他の業界の人が理論を議論している時に、あなた方は現実に対応してきているからです。

1980年代以降、登録された気象関連の損失事故の数が3倍になりました。そして、これらの事故によるインフレ調整後の保険損失は、1980年代の年間平均100億米ドルから、過去10年間で年間約 500億米ドルまで増加しています。

現在の気候変動問題は、今後起こり得るものに比べると色褪せているかもしれません。あなた方の中の洞察力に富んだ方は、資産や人口の移動、政治的安定性、そして食料や水の安全などへの幅広い地球規模での影響を見越されています(※3)

それなのに、なぜその問題への対応が今なされていないのでしょうか。環境経済学の古典的な問題は、コモンズの悲劇(共有地の悲劇)です。その解決策は、財産権と供給管理の中に見出されます。

気候変動はホライゾン(地平線上)の悲劇です。

気候変動の壊滅的な影響が、伝統的な領域を超えて及んでいくであろうことは、アクチュアリーたちに言われるまでもありません。今の世代が備えようとしないコストを将来の世代に押し付けているのです。

つまり、ビジネスサイクル(景気循環)、政治サイクル、自らの権限によって縛られる中央銀行のような専門行政機関のホライゾン(範囲・領域)を越えて、それらのコストが生じるのです。

金融政策の範囲は2~3年の広がりです。金融の安定のための範囲はもう少し長いのですが、しかし、一般的にはクレジット・サイクル(信用サイクル)よりも少し長い約10年までです。言葉を替えると、一旦気候変動が金融の安定のための決定的な問題となっていると判明すると、その時にはすでに手遅れかもしれません。

スターン卿などが十分に実証されているように、このパラドックスは難しいものです。リスクが累積排出量の関数であることから、より早い行動はより安価な調整を意味します。

産業革命前のレベルから2℃未満の温度上昇に気候変動を抑えようと望めば、世界が許容し得る炭素排出量を算定する「炭素予算」の概念に行き着きます。このような予算は、IPCCによってなされたもののように、今日における不作為の結果に、それによって明日に必要となる対応策の規模として光を当てることになります。

これらのアクションは、確かに、科学的専門家による助言の下での選ばれた政府の責務である、政策の選択に影響されます。10週間後には196カ国の代表がパリでのCOP21首脳会議に参集し、気候変動に対する世界の対応策を論議します。2℃未満の世界を追求するかしないか、どのように追及するかの選択をしなければならないのは政府です。

そして、金融の役割は何でしょうか? 今年初め、G20の財務相たちは、金融安定理事会(Financial Stability Board: FSB)に対しどうすれば金融セクターは気候変動が私たちの金融システムにもたらすリスクを考慮に入れることが出来るのかにつき検討するよう求めました。FSBの議長として、私は、先週行った会議も含め、さまざまな会議を主催しましたが、そこでは民間部門と公共部門の代表たちが、気候変動からする、現在および将来予想される金融の安定のリスクと、それらを軽減するために何が出来るのかにつき議論がなされました。

私は保険部門からの教訓から始めていくつかの背景を説明した後、前へ進めていくためのいくつかの考察を共有したいと思います。

気候変動と金融の安定
 気候変動がそれを通して金融の安定性に影響を与える可能性がある3つの広範な経路があります。

まず、物理的リスク:現在における保険負債への影響と、財を損傷したり、貿易を混乱させる洪水や暴風雨などの気候や天候関連の事象から生じる金融資産の価値への影響

第二に、賠償責任リスク:気候変動の影響から損失または損害を受けた当事者が、彼らがそれに責任を負うべきとするものからの補償を求める場合に、将来発生し得る影響。このような補償請求は、何十年か後で来るかもしれないが、炭素の採取者と排出者に打撃を与える可能性があり、もしそれらの請求を受けるものが賠償責任を付保していたとすると 最も難しい事態となります。

最後に、移行リスク:低炭素経済への調整の過程から生じる可能性がある金融リスク。政策、技術、物理的リスクの変化は、そのコストと機会が明らかになった時に、大規模な範囲の資産の価値の再評価を促す可能性があります。

このような価値の見直しがどのような速さで発生するかは不明であり、金融??の安定にとって決定的なものであるである可能性があります。すでに環境方針や環境パフォーマンスの変化による価格急落の幾つかの注目すべき事例があります。

移行に早期に着手すれば、予測可能な経路をたどる場合は金融の安定へのリスクが最小化されることになり、それによって市場が2℃未満の世界への移行に備えることを助けます。

これらの重要なポイントを引き出すために、イングランド銀行の現在の保険業界に対するアプローチを検討してください。

世界第3位の保険業界の規制機構としてPRAは、保険契約者を保護し、保険会社の安全性と健全性を確保する責任があります。私たちの監督業務は前を見据えた、そして判断に基づくものです。それはリスク・ベースで、業界の中の異なるビジネスモデルに合わせて仕立てたバランスのとれたもので、通常の業務を見るとともに、失敗がないことは望ましくも現実的でもないことから、当該企業が安全に失敗することが出来るかを注視します。

私たちの監督官は、あなた方の事業計画、リスク管理、ガバナンス、および資本モデルを見て調べます。PRAが介入する必要があると判断した場合は遅くならぬよう即刻行います。
私たちの使命は、その多くが地元にいる保険契約者を保護することですが、私たちは国際的な競争が堅牢で国際的に一貫性のある規制基準を必要としていることを意識しています。

ソルベンシーII(※4)が良い例です。それは慎重でありながらバランスのとれたEUの法案指示文書で、私たちの国内基準の基本原則を体現していて、これをヨーロッパ全体に各国の制度の寄せ集めと置き換えながら、より一貫した形で埋め込もうというものです。

もう一つのベストプラクティスの一例は、FSBによる世界のシステミック・リスク(※5)保険を引き受ける保険会社のためのHLA(Higher-Loss-Absorbing:より高度な損失吸収能力)に関する先週の合意、ならびにFSBによるIASB(国際会計基準審議会)への新しい保険契約の基準を完成させることへの支援です。英国の保険業界は、このようなより高いスタンダードへの発展によく備えができています。

先を見据える規制機構は、今ここにあるものだけでなく、新しく現れる脆弱性とそれのビジネスモデルに及ぼす影響についても考慮しています。

PRAは、DEFRA(英国環境・食料・農村地域省)の依頼により、本日刊行された英国の保険会社に対する気候変動の影響に関する報告書を作成しました。

このレポートの結論は、保険会社は、気候変動が及ぼす3つのタイプの金融に対して起きるリスクに曝されていて、業界は目先においては備えが出来ているものの、今日のリスクを管理できる能力が、将来の安定性も保障するものではないというものです。長期的なリスクは、あなた方とあなた方の保険契約者に重大な影響を与える可能性があるのです。

気候変動への保険の応答

気候変動によってもたらされる極端な気象事象の頻度と苛烈さの潜在的な増大とは、より長く、強烈な熱波や、干ばつの激化、あるいは、より多くの強大な暴風雨といったものを意味します。

2014年の冬は英国国王ジョージ三世の時代以来で最も雨が多かったのですが、予測によると、今後、冬の間の降水量は少なくともさらに10%増加すると見込まれています。

この見通しが地球温暖化と気候変動を同一視する人たちの心と靴を湿らせることは間違いないのではないでしょうか。

特定の要因に保険金請求の増加を帰することは難しいですが、気候変動の直接費用は、既に保険会社の引受戦略やアカウントに影響を与えています。

例えば、ここロイズのロンドンで行われた作業では、1950年代以来のマンハッタンの先端での20センチメートルの海面上昇が、他のすべての要因が一定に維持されていたとして、スーパー・ハリケーン サンディによる保険損害額をニューヨークだけで30%増加させたと推定しています

これらの直接費用以外に、グローバルなサプライチェーンの崩壊のような二次的な事象から間接的に生じる損失の上昇傾向があります。

従って保険会社は、短期における気候変動を理解し、取り組もうという最も強い動機を持つものの中に入ります。あなたの方の動機は、資本家としての商業的懸念により、またグローバルな市民としての道徳的な考察によって先鋭化されるのです。そして、英国の保険業界は、気候変動から生じるリスクの理解と管理において最先端にあると言えます。

ロイズは、変化する天候のパターンを分析する目的で、金融と自然科学を噛み合わせるために初めて嵐の記録を使用した創始者です。ハリケーン・アンドリュー、カトリーナ、そしてアイクのような出来事は、大災害リスクのモデル化や、対応策の進歩を助けたのです。今日ロイズの引受人は、その事業計画及び引受モデルにおいて、明確に気候変動を考慮することが求められています。

あなた方が優れているところは、過去は前触れではなく、将来の破滅的な状況は、今日のテール・リスク(※6)に確認できるということを認識してきたことです。例えば、200年に一度のリスク選好度で資本を保持することによって、英国の保険会社は、保険損失額で記録上最悪の年の一つとなった2011年の出来事に耐えました。あなた方のモデルは、有効性を証明し、保険金請求に対しては支払われ、そして支払い能力を維持したのです。

あなた方の予測モデルにおける、先を見た自己資本の枠組み、そして短期的な政策を中心に構築されたビジネスモデルといった組み合わせは、損害保険会社は、短期的には物理的リスクを管理するためにうまく備えがなされていることを意味します。

しかし、気候変動により上昇している物理的リスクは、さらなる先には、損害保険のビジネスモデルに重大な課題を突きつけることになるかも知れません。

リスクのモデル化は、損失の頻度と甚大さの変化が以下との関連で変化してきているので、たゆむことなく改善されなければなりません。

– 保険が既存のモデルでカバーされていない新たな市場に展開していること、
– 以前は予期していなかったリスクが前面に出て来ていること、そして
– ますます不安定化する気象の傾向と水循環が今までになく将来の予測を難しくしていること

例えば、ヨーロッパの暴風が群をなして発生する程度によっては、大災害の頻度を増加させ、分散効果を削ぐことになり得るのです。

実際のところ、ある推定では現在のモデルで算定されている損失は、最近の気象トレンドが新しい状態を表しているということになるのであれば、50%ほど過小評価されているとされます。 また、気候変動は、疾病あるいは世界的流行病(パンデミック)による罹病率と死亡率を増加させるかもしれません。

このような展開は保険料と保険金との間のバランスを著しく変化させ、現在は利益の上がる事業を存続不能に変えてしまう可能性を秘めています。

気候変動を緩和するための行動を欠くと、保険契約者もまた、保険料率が調整されたり、保険引き受けが撤回されたりした時に、気候変動の影響を感じることになるでしょう。物理的リスクに対する保険会社の合理的な応答は非常に現実的な結果をもたらすとともに深刻な公共政策上の問題を引き起こすかもしれません。

いくつかの極端な例では、カリブ海地域の世帯は暴風雨のパターンが、彼らが個人的に付保を出来なくし、モルゲージ・ローンの貸付の停止、価値崩壊、近隣地域の放棄を引き起こしたのです。

有り難いことに、これらの例はまれです。こうしたリスクの潜在的影響に対する認識が、英国において、現在壊滅的な洪水のリスクが最も高いであると考えられている約50万世帯のために手頃な価格で洪水保険を付保出来ることを保証するための「Flood Re」という公的担保スキームの設立を促したのです。

この例では、より広い論点を強調しています。保険業界は短期の気候変動には適応するように備えていますが、それらの応答は、リスクを国有化するかどうかを含め、より幅広い社会問題を引き起こす可能性があります。

時間の経過はまた、最も先進的なモデルでも予測することが出来ない、第三者賠償責任リスクといった、リスクを顕在化させるかもしれません。

ロイズ市場の参加者はすべて、確率の低いリスクであるように見えるものが長い時間スケールでは大規模かつ予期せぬコストに発展し得るということをあまりにもよく知っています。

第三者賠償責任保険の保険金請求に関しては、賠償責任という範疇では、損失を被った人が、被保険者が気候変動に対するリスクの軽減に失敗した、あるいは環境に与えた損害に対する十分な補償をしなかったり、規則を遵守することに失敗したということを示すことが出来た場合は、被保険者の取締役および役員と専門職の賠償責任が問われることになります。

アスベストはそれ単独で、米国における最終請求額ベースで保険会社に850億米ドルのコストとなることが予想されています。これはスーパー・ハリケーン・サンディの損害の3倍に匹敵します。

気候リスクとの類似性を引き出すのは時期尚早と言えますし、訴訟の事例でも、いまのところ大半がうまく行っていないのも事実です。

アーチ・コール社やピーボディ・エネルギー社のケースでは、年金担当役員が、気候変動によってもたらされる財務リスクを、少なくとも部分的には、考慮せず、重大とされるべきロングテール・リスクを、不確実で、非線形的だと説明していたことから、受託者責任を果たすことに失敗したと申し立てられました。

そして、気候変動による「損失と損害」と、それについて何が行われるべきかは正式に国連気候変動枠組条約の議題になり、それへの賠償についても公然と話されています。

これらのリスクは科学と気候変動の証拠が確固となるにつれ高まるばかりです。

気候変動による物理的リスクはまた、保険会社のバランスシートの資産側にますます関連するようになってきています。

料率の見直しや、保険の引き受けを撤回出来ることは、保険会社に対するいくつかのリスクを軽減させますが、一方で、気候変動が進行するにつれて、保険会社は自身の組織の中での「認知的不協和」に用心することが必要になってきています。保険会社の引受人による慎重な決定が同じ会社のアセットマネージャーによって管理されている資産価値を下落に導くのです。これは、気候変動からの移行リスクを明白にしています。

移行リスク

英国の保険部門は、多くの場合数十年に亘る負債と見合うように約2兆ポンドの資産を管理しています。洪水や嵐のような気候変動の物理的な兆候は、直接的には企業の債権の価値に影響を与えないかもしれませんが、低炭素経済への移行を促進するための政策的な措置は、根本的な資産の再評価への導火線になる可能性があるのです。

例えば、先ほども言及した産業革命前のレベルからの地球の気温上昇を2℃未満に抑えることが出来るとされるIPCCの炭素予算(許容炭素排出量)を取り上げてみます。

炭素予算は石油、ガス、石炭の世界の確認埋蔵量の5分の1から3分の1に等しいものです。その推定値がほぼ正しい場合、埋蔵量の大部分が座礁してしまった状態となり、高価な(大気圏内の)炭素を回収する技術無しには、石油もガスもそして石炭も文字通り燃やせなくなくなり、そうした事態は化石燃料の経済を様変わりさせてしまいます(※7)

これらの変化に保険会社を含む英国の投資家はおびただしく曝されることになるのです。

FTSE 100(ロンドン証券取引所に上場する企業の時価総額上位100社)企業の19%が天然資源と採掘の分野です。さらに時価ベースでの11%は電力会社、化学品、建設、生産財の分野です。世界的には、これら2つの層に入る企業は、株式および確定利付債券資産の約3分の1を占めています。

一方、我々の経済の脱炭素化に融資することは、長期的な投資家としての保険会社にとっては、大きなチャンスです。それは現在の割合のおよそ4倍の長期インフラ資産への投資を伴う、資源の抜本的な再配分や技術革命を意味しています。ただし、これが起きるためには、「グリーン」な金融は、中期的にニッチなものに留まるということではいけないのです。

低炭素経済への移行の速度に影響を与える可能性のある要因は多数あり、それらは、公共政策、技術、投資家の選好性や物理的な事象などを含みます。

規制機構の視点からすると、ポイントは価値の再評価は本質的に歓迎されないということではありません。そうではないのです。資本は、外部性を含むファンダメンタルズを反映するために割り当てる必要があります。しかし大規模な再評価は、特にもしそれが突然行われると、潜在的に市場を不安定化させ、景気循環を増幅する損失の実現(Crystallization(※8))や財務状況の永続的な引き締めの火付け役なってしまうかも知れません。

言い換えれば、ホライゾンの悲劇の突然の解決は、それ自体が金融の安定のリスクです。

先見の明をもって投資する方が、後に後悔することが少なくなるのです。そして、その可能性を高めるための方法があるのです。

金融政策の含意するもの

金融政策担当者は、低炭素経済への移行を推進しません。一つの政策的応答を他より優先して奨励するのは中央銀行ではありません。決定するのは政府です。

しかし、私が今申し上げたリスクの意味するところは、金融政策立案者は、金融システムがいかなる移行に対してもレジリエント(弾力的)であることを確保したいということです。そして、移行に対し効率的にファイナンスを供与することは可能だということです。

何人かは、規制当局としては、銀行や保険会社の自己資本規制の枠組みを調整することにより、低炭素経済への資金供給を加速するべきであると提案します。しかし、これは間違ったやり方です。金融の安定性を確保するためのプルデンシャルルールを、他の目的で使用した際の危険性を歴史は示しています。我々の適切な役割は、市場自体が効率的に調整するために役立つフレームワークを開発にすることにあると言えます。

如何なる気候変動のリスクへの市場の効果的反応は、気候変動のリスクに対処する技術と政策と同様に情報の透明性の上に築かれる必要があります。

2℃未満の世界への移行における「市場」を構築することはできます。それは、調整を前方に引っ張って行く可能性を秘めていますが、しかしそれは情報が利用可能であるとした場合で、さらに決定的なのは、政府の政策対応と民間部門の技術革新が信用されていると見なされた場合に限られるのです。

このことが、私たちが先週のFSBでの討論に続いて、G20サミットに向けて、一貫性のある、比較可能な、信頼性のある、そして明解な、いろいろな異なる資産の炭素強度(※9)に関する情報開示の開発に向けもっと多くがなされるべきだとの提言を検討している理由です。


投資家が見渡すことを可能にするより良い情報

古い格言は「測定できるものは管理することができる」というものです。

投資の炭素強度に関する情報は、投資家が企業のビジネスモデルへのリスクを評価することを可能にし、そして彼らが市場で自分の意見を表現することが出来るようにします。

マクロ経済学のよく知られた格言は、セイの法則で、「供給が需要を創り出す」というものです。これは、新製品を製造する行為は、収入と利益を創出し、それが最終的に彼らの製品への需要に資金を供給するということを意味します。

類推すると、企業のための彼らの気候変動フット・プリント(※10)と、どのようにリスクを管理し2℃未満の世界に備えているか(あるいはいないか)についての情報公開の枠組みは、投資家によるアナリストへの需要を生み、さらに決断のためのより一層のアナリストを活用するという好循環を促進することになるでしょう。また、政策立案者によるCO2の発生源や企業準備状況に関する理解を改善するであろうと思われます。

炭素予算の価値が生かされるためには、情報開示がなされなければならなく、政策立案者に対し、彼らが決断する際の背景を示し、企業や投資家にそうした選択を見越し応答することを可能にすることによってです。

気候を巡る不確実性を考えると、誰もが同意するものではないと思います。ある人は、IPCCの計算に異議を唱える可能性があります。他の人は、化石燃料を燃やし続けた時の財務結果が出てこないことに絶望するかもしれません。また他の人は利害関係が政治的行動を避けられなくするという見解を取るかも知れません。

正しい情報は懐疑論者と熱烈な支持者も同様に、彼らの信念を資本で裏打ちすることを可能にします。??

またそれは化石燃料を製造し、使用している企業に対する評価が、時を経てどのように変わっていくのかも明らかにすることでしょう。

さらにそれは、ビジネスをする上でや、排出するための支払うことになったり、そうした費用を避けるためであったり、規制を強化するためといった、未来において生じると思われる費用を明らかします。

またそれは気候版の「ミンスキー・モーメント(※11)」の際に一挙に集中してということではない、意見が変わるにつれての、円滑な滑らかな価値の調整をするのに役立ちます。

決定的なのは、それが政策策定と市場との間のフィードバックを可能にし、気候に関する政策をいくらか金融政策に近いものにするのではないかと思われます。政策立案者は、情報に基づく応答を可能にし目標や手段を含む政策決定を支援する良質の情報があれば、市場の反応から学び、、彼らのスタンスを正確なものにすることができます。

気候開示タスクフォース

気候変動が生み出したコストや機会やリスクに関する良質な情報が、時機を得た対応を可能にするというのは、特に新しい考えではありません。全く正反対で、そのような情報を提供するために、約400のイニシアティブがすでに存在します。

既存のスキームはその成り立ち(法律から自主的なガイダンスまで)、対象とする範囲(温室効果ガスの排出量からのより広範な環境リスクまで)、そして志向(簡単な情報開示から緩和と売却戦略の完全な説明まで)において様々に異なります。

FTSE 100企業の90%以上とフォーチュン・グローバル500掲載企業の80%は、これらのさまざまな取り組みに参加しています。例えば、カーボン・ディスクロージャー・プロジェクトは、5000社からの情報開示を総額で90兆米ドル以上の資産を管理する投資管理者に提供しています。

残念ながら、これらのイニシアティブは多岐にわたり、目的や範囲などもさまざまであり、断片化された開示情報により、正しい方向を向いているにもかかわらず、迷子になるというリスクを含みます。

金融、科学または他の如何なる分野であれ、最も効果的な開示の要件は以下のとおりです。
– 一貫性 -関連産業や部門間に亘り、範囲と目的において、
– 比較可能性 -投資家が同等者間と集合でのリスク評価出来るように
– 信頼性 -ユーザーがデータを信頼できるように
– 明解性 -複雑な情報を理解が出来るように、そして
– 効率的 -利益を最大化しながら、コストと負担を最小限に抑える

これらの基準を満たすためには、コーディネーションが必要です。それをG20とFSBが今行おうとしています。

論理的な出発点は、効果的な情報開示を構成するものは何かということを協調したかたちで評価することです。また、これは公的セクターがするのではなく、民間セクターのように何に価値があり、何が実行可能かがわかっている者によってなされるべきことです。

一つのアイデアは、業界主導のグループである気候情報開示タスクフォースを設立し、炭素を製造するか排出する企業の情報開示の自主的基準を設計し提供することです。

企業には、彼らが今日排出しているものだけではなく、どのように彼らが将来の排出ネット・ゼロ世界への移行を計画しているのかを開示をしてもらいたいものです。その加盟国世界全体の排出量の約85%を占める G20はこれを可能にする独自の機能を持っています。

この種の提案は、金融危機の後のFSBによる情報開示強化タスクフォース(EDTF: Enhanced Disclosure Task Force)を介しての世界最大の銀行の進歩的情報開示への改革の成功に範をとっています。

2012年10月に発表されたEDTFの提言は、銀行、アナリストや投資家の間の協働の産物でした。これは、資本の提供者に彼らが必要とする開示、特に-銀行がどのようにリスクを管理し、利益を上げているかについての情報を銀行が容易に供給できる形式で提供したのです。 それは民間企業が細目にわたる、あるいは費用のかかる規制の介入を必要とせずに、開示を改善し、市場規律を構築できることを示しています。

EDTFと同様に、CDTFも、民間の出資者、主要な株式発行者、会計事務所および格付機関で構成することができました。

静的な開示の補完

静的な開示が必要な最初のステップです。その影響が増幅される二つの方法があります。

まず、政府は、もしかするとCOP21に刺激され、炭素価格の道筋に関する指針を示して情報開示を補完するかもしれません。

このような炭素価格の回廊は、価格に関するものと非価格政策措置の双方を反映するように調整され、また外部性が完全に相殺されるレベルに収束するまで時を追って上昇していくような、指標としての炭素の最低及び最高価格を示すことが必然的な要件となります。たとえ最初の指標価格が炭素の“真の”コストのはるか下に設定されている場合でも、価格シグナル自体が大きな力を持っています。それは、気候の影響を貨幣価値にリンクさせ、資産価値とビジネスモデルへの将来の政策変更の潜在的な影響に関する視点を提供することになります。

第二に情報開示を促進するものとしては、ストレステスト(健全性審査)があります。これは、さまざまな事業からの収益に対する気候変動によるゆがみの大きさの輪郭を描くのに使うことも出来るかも知れません。この領域において、保険会社は最先端に立っています。

あなた方の資本要件は厳しいが、蓋然性の高いシナリオによる影響の評価に基づいています。あなた方は、極端な事象が常態となる世界に対する防御を構築しながら、将来を見つめているのです。

このストレステストの技術は、時間とともに肥大するであろうテール・リスクを、企業や投資の広い範囲に埋め込まれた環境曝露の将来予想される結果に光をあてながら分析するのに適しています。

良質の情報開示や価格回廊から外れて行われるストレステストはタイムマシンのような機能があるかもしれません。今日のリスクに正確に光を当てるだけではなく、今後何年もの間、暗闇で待ち伏せているものに光を当てることができるかも知れないのです。

結論

私たちの社会はさまざまな深刻な環境的、社会的、政治的、経済的な課題に直面しています。科学的な証拠の重みと金融システムの力学による組み合わせによって、時が満ちれば、気候変動が金融のレジリエンスと長期的な繁栄を脅かすだろうということを示唆しています。行動する時間がまだあるものの、機会の窓は有限で縮小しているのです。

リスクを測定し、管理する為にデータ、技術、専門家の判断を組み合わせることをロイズの例から学ぶ必要がある人もいるでしょう。

パリでの12月の会合では、炭素排出量を抑制し、新技術の資金調達を奨励する計画に向けての作業が行われるでしょう。 私たちは、彼らの影響力を最大化するために一緒に働くための市場を必要としています。

基盤として、良質の情報を使用して、我々は明日のリスクのより良い理解のための好循環、投資家のためのより良い価格、より良い政策立案者の意思決定、そして低炭素経済へのスムーズな移行を構築することが出来るのです。

測定されたものを管理することで、我々はホライゾンの悲劇を打ち破ることができます。

※1 訳注:事故による保険金が一定額を超過した場合にその超過額を再保険者が元受保険者に支払うもの<
※2 訳注:1906年のサンフランシスコ大震災の際Lloyd’sの地震保険のリーディング・アンダーライター(保険引受人によるシンジケートの主催者)であったC. Heathが保険契約者に対して支払額に制限を設けず満額を支払うこととしたことを指す。ロイズ WEBサイト
※3 原注:「リスキー・ビジネス-米国における気候変動の経済的リスク」(2014)というレポートは2100年までに価値にして2,380億~5,070億米ドルの沿岸部の資産が海面下となり得ることを示している。ロイズによる調査は気候変動は食糧安全保障上の重要な供給サイドの問題とした。次を参照:Feast or Famine
※4 訳注:ソルベンシーとは支払い能力であり、保険会社が将来にわたって保険金支払を適切に行うことができるよう、保険会社に対する監督を行うための規制がソルベンシー規制であると言われる。日本においては、金融庁がこの役割を担っている。ソルベンシー規制には、現在はソルベンシー・マージン比率が用いられているがソルベンシー・マージン比率は、算出が簡単であるが、保険会社の財務状況を正確に反映しないのでは、という問題があるとされ、保険会社の資産・負債の両方を時価に基づいて評価す経済価値ベースのソルベンシー規制に移行しつつある。この経済価値ベースのソルベンシー規制がソルベンシーIIと呼ばれる。
※5訳注:金融制度そのものが機能不全となるリスク
※6 発生する確率は低いが発生すると甚大な被害をもたらすリスク <
※7 訳注:こうした炭素予算などの温暖化緩和のための規制で販売できなくなる化石燃料の埋蔵量やストックを座礁資産と呼んでいる。これにより化石燃料業界が現存を強いられ、それが金融市場全体のシステミック・リスクとなるとしてこうしたリスクをカーボンリスクと呼んで近年問題化している。このカーボンリスクについて化石燃料企業に対し情報開示を求めて来ている金融専門の非営利シンクタンクのカーボントラッカーが以下のサイトで日本語のレポートを提供している。カーボントラッカー WEBサイト
※8 訳注:市場価格が下がった時一旦市場で売却し、損失を実現させ、その後直ちに市場価格で買い戻す行為-Free Financial Dictionary
※9 訳注:一般的な定義では炭素強度は一定のエネルギー発生量に対するそれに伴い排出される炭素の質量をいうが、ここでの炭素強度は保有資産の炭素排出量を意味するようだがその計算式などは不明。Carbon Intensity of Saleという場合は企業の単位売り上げ当たりの炭素排出量を言う。炭素資産のリスクを考えるときには企業が抱える炭素のストックが温暖化緩和のための規制により無価値化するおそれのあることを考慮しなければならないはずだが、そうした炭素ストックの量がどう織り込まれるのかも不明。
※10 訳注:CO2だけでなく全ての温暖化効果ガスの足跡
※11 訳注:ミンスキー・モーメント(ミンスキーの瞬間)とは、信用循環または景気循環において、投資家が投機によって生じた債務スパイラルによりキャッシュフロー問題を抱えるポイントである。このポイントにおいて、どのカウンターパーティー(金融取引参加者)も事前につけられた高い提示額に対して値をつけることができず、大きな株の投げ売りが始まる。その結果、市場決済資産価格の突然かつ急激な崩壊、市場流動性における急激な落ち込みが発生する。

作成日:2016年12月19日 17時09分