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沈黙の森

インドネシアの森林火災とその背景

ハリー・スルヤーディ/「コンパスデイリー」紙記者


消えた雨林のざわめき

 雨林に一度でもいったことがある人なら、雨林が世界で最もやかましい場所だと分かるだろう。雨林は何千もの虫の声、鳥のさえずり、猿のかけあいや愛情の吠え声、葉の落ちる音、木の間を浸み入る風などの音であふれている。
定義からすれば、雨林では、常に雨が降っている。木が年中青々しているのはそのためだし、とても湿っている。水も簡単に見つかる。湿度が高いので、燃えにくい。
 98年4月の初め、東カリマンタンにある19万8,000haの自然林、クタイ国立公園を訪れてショックを受けた。エルニーニョは何をしてしまったんだろう。
 森は死の静寂に覆われていた。虫、鳥、生物の気配はなかった。時々、乾燥した小枝が落ちる音がした。他に聞こえる音といえば、自分自身の呼吸と心臓の鼓動だけだった。私の来る2日前、森林を火が破壊したのだ。
 雨林は乾林となった。小さな木や乾燥した葉は焼け尽くされた。森林の床は黒く硬化した。茶色い葉は地面に落ち、火の新たな燃料となった。
 幸運にも、今回は地面の高さの火事だった。背の高い木は生き残った。来年には新しい種子を産み出すだろう。もし森が乾期を乗り越えることができればの話だが。
 動物たちはどこに行ってしまったのか。木は火から逃げられなかったし、小さい虫も同様だ。大きな動物は、空気が暑くなってきたのを感じて逃げ出した。森林の他の場所へ移住したのだ。
 大きな動物たちは、火の手の及んでいない場所を探そうとし、食べ物を見つけた。それでも十分な食糧や飲み水はなかった。森が乾きすぎていたからだ。動物たちは飢えていた。残されたチャンスといえば、森のそばの村にいくことだった。
 サマリンダの北部およそ160kmにあるボンタンで、1頭のオラウータンが見つかった。木の幹をむき、形成層の水をなめていた。村人たちは怒った。木を焼き、運の悪いオラウータンを殴り殺してしまった。  森林火災の影響を受けたオラウータンの数、そして、何頭が火災で、あるいは村人たちに、あるいは不法狩猟者の手にかかって殺されたのか、正確な数字はわからない。確実なのは、最も苦しんだ動物がオラウータンだったことだ。

オランウータンの受難

 東カリマンタン、バリクパパン(ジャカルタから飛行機で2時間、サマリンダから車で2時間)のワナリセット・オラウータン救出リハビリセンターは、1997年のカリマンタン火事で、カリマンタン全土から合わせて60頭の赤ちゃんオラウータン(生後8カ月から5年)を受け入れたと報告している。ところが、98年1月から今までで、既に赤ちゃん30頭、それにおとなも数頭受け入れている。
 生後8カ月から5年の赤ちゃんオラウータンといえば、普通まだ母親にくっついている。ワナリセットで受け入れたのが赤ん坊のみであるとすれば、母親たちは殺されているということになる。つまり、もっと沢山のオラウータンが殺されているのだ。
 村人たちの手から政府保護されたとき、健康状態の非常に悪い赤ちゃんオラウータンもいた。何週間も食べておらず、栄養が足りずとても貧弱だった。体温も低下していた。腕の骨が折れ、顔をやけどした状態で見つけられたものもいた。

長い干ばつ

 97年12月の短い降雨を除いて、97年6月以降98年4月まで、東カリマンタンでは雨が全く降っていない。気候学者はエルニーニョは98年6月まで続くと予測しており、そうなると東カリマンタンは非常に長い干ばつに見舞われることとなる。
 この干ばつは最終的にいつ終わるのか、という問いに答えるのは難しい。今回の干ばつのパターンは、82ー83年の極端なエルニーニョ干ばつの時とほぼ全く同じだ。前回の干ばつでは、カリマンタンの森300万ha以上が破壊された。そしてそれは、83年5月に雨が降り出すまで続いた。
 もし98年5月の時点で雨が降らなければ、公園はより一層危険にさらされることになる。乾燥した葉や木は簡単に燃え尽きてしまう。森のより広範な部分に火の手がつく:地面の高さだけではなく、大きな木も燃やしてしまう、天蓋をおおうような火だ。
 公園の全部分が大きな、今までよりも大きな火災に遭う。火は全てのものを破壊する。そして、誰も火を止められない。高さ10メートルもある火をどうやって止めるのか、想像してみるといい。
 東カリマンタンの森林火災は、消火能力をはるかに超えるところまでエスカレートしてしまった。総合森林火災管理プロジェクト(IFFM)の責任者で、東カリマンタンで森林火災管理を確立すべく政府森林部を助けてきたルドウィグ・シンドラーによれば、火を消せるのは雨だけだ。

200万ha以上が焼失

 IFFMは、インドネシア政府(森林部)とドイツ政府(ドイツ技術協力庁:GTZ)の2国間合意に基づく技術協力プロジェクトだ。
 98年1月以来、火は、公式の数値で40万haもの森、プランテーション地域や低木林地を焦がしている。カリマンタン、スマトラ、スラウェシで起こった昨年の火事で焼けたのは、森林、材木プランテーション地、低木林地合わせて26万ha(東カリマンタンのみでは3万ha)だったのと比べてみよう。
 環境影響管理庁によれば、東カリマンタンで最も焼けたのは全体で20万7,000haにのぼる利権地(concession)及び森林保護区域と、1万1,000haになる利権地の跡地だった。98年の火災は、クタイ国立公園の自然林7万1,000ha、天然保全林1万ha、材木プランテーション8万5,000haをも破壊した。
 97年、98年に燃やされた森林や非森林が全体でどのくらいになるのかはまだよくわからない。はっきりした数値は出ていない。地域が広範でばらばらなため数えるのが大変なのだ。インドネシアで働いているEUの遠隔地探査専門家が出した保守的な予測で、97年の火事では、200万haが焼けた。98年の火事の影響は、その200万haを上回っている可能性が高い。

火災の原因

 インドネシアの野火は、ほとんど常に人が原因となっている。東カリマンタンの極一部で、燃えている石炭の裂け目が発火元となってくる位のものだ(1982-83の火事の主な発火源だ)。野火の火元のほとんどが、土地を開くために行われる農地焼きから逃げ出してしまった火だ。
 火は、プランテーション会社が土地を開き、土地を覆っている植裁(vegitation)を減らし、極端に貧弱な土地を準備し栄養価の高いものとするための、最も安価でかつ入手可能な唯一の手段だ。そして、火は今後も間違いなく個人や団体に、土地開拓や土壌の扶養化の手段として使われ続けるだろう。現在政府が土地開拓のために火を使うことを禁じているのにもかかわらずだ。
 カリマンタンの先住民族であるダヤク族は、伝統的に何千年もの間自然環境と調和し、移動農耕、時に焼き畑式と呼ばれる農業を行ってきた。彼らには、農地開拓のための火を使うことには経験もあり、厳格な伝統的規則ももっている。他の島から来た人たちやプランテーション会社は、農地開拓のため火を使うにあたって、このような規則を適用しない。 
 しかし、火は兆候の1つに過ぎない。シンドラーいわく、本当に問題になるのは、それは土地使用の理念と、土地保有システムの2つだ。
 大規模な森林転換政策は森林火災の問題の中でも実質的な問題の1つだ。インドネシア政府には、年間40万haの森林を農業プランテーションあるいは木材プランテーションに転換するという計画がある。政府は、合わせて2,000万haの自然林を、商業用に使われる木が切られたあとプランテーション用地にすべく確保している。悲しいことに、カリマンタンの土壌は、ヤシ油プランテーションや材木プランテーションにはむいていない、とシンドラーは言う。持続可能な森林利用をするときのみ持続可能なのだ。
 そして、森林転換政策は、火なしには実施できない。土地利用政策が変わらない限り、森林火災は毎年再発することになる。
 しかし、今のような悪い経済状況の中で、政策を変更することは不可能だ。インドネシアは外国への借金を払うための外貨が必要だ。従って、更に多くの森林がヤシ油プランテーション、ゴムプランテーション、材木プランテーションといった、現金をならせるプランテーションに転換されていくだろう。

土地保有システム

 政府の担当者は、いつも、ある森が燃えるわけを考える。だが、地域社会に属している森はどうして燃えないのかは決して考えないのだ。地域の住民は、材木プランテーション、あるいはヤシ油プランテーション、あるいは国立公園が火事でも、どうしてあまり気にしていないようにみえるのか。まわりの森が全部燃えている中で、南スマトラの、地域住民に管理されている樹脂の森2万haだけが燃えなかったのはなぜか。
 野火[wild fire]の原因のほとんどが、自らの土地を焼く人々にあることは間違いない。彼らには選択の余地がないのだ。火を使って森林を開拓するしかないのだ。でも、火に注意を払わない、時に火が森にまで猛威をふるうことになる。そして彼らはまわりの森が燃えるのをただ見ている。なぜまわりの森はどうでもいいのだろう。
 ただ楽しみのためのみわざと森に火をつける人もいる。自らの行為の影響がなんたるかをしらないこともある。何でこんなことをするのか。
 長年にわたり、多分何千年もの間、先住民たちは森から糧を得て生活してきた。森の主人だったから、森を大切にした。なぜ今は大切にしないのか。
 67年に出された森林に関する包括的法律によれば、インドネシアを覆っている全ての森は政府のものだ。政府には、森を森でなくし、用法を換え、私企業に権利を渡す権利をもっているのだ。
 つまり、政府は、森林に対する先住民の伝統法規や権利を認めなかったということだ。
 その後、新しい体制下におかれた政府は、森林に関する利権を地域住民ではなく退職将校に与えた。将校には森林を材木にする権利が与えられ、先住民たちは皆、追い出されてしまった。先住民は、かつて自らのものだった森に入ることを禁じられた。先住民と、利権会社との間に数多くの紛争が起きたのも無理からぬことだった。
 多分、だから先住民は森を燃えるに任せておくのだろう。「もはや我われの森ではないんだ。もう構うものか。火が破壊するならそうさせておけばよい。」村人たちは心の中でそういっている。
 そして、政府が森林保有システムを変え、森林に対する伝統的権利を認めない限り、地元住民が森林火災を気にかけることはないだろう。
 東カリマンタンでは未だに火災が発生している。水の爆弾を落とす飛行機など、高価なハイテク機器を使おう、という方向に傾く可能性が強い。地面のインフラや、森林と戦う力が不足している限り、高額の費用にもかかわらず、効果はほとんどない、あるいは皆無に等しいのだが。
キーワードは地元住民だ。政府は森林管理の政策を再評価し、土地の権利を地元住民に与え、森林地帯を金のなるプランテーションに変えるのをやめなければいけない。それから、地元住民に自分の土地を火から守らせるのだ。

更新日 2003/12/17
名前 GEF


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