私的な謁見の間カース・マハルはヤムナ川を一望できる場所にある。白大理石づくりの床や壁に赤や青の石を埋め込んだ象嵌細工は花や草を表している。その隣、城壁の外に張り出した部屋はサマン・ブルジュ(囚われの塔)と呼ばれる。晩年、シャー・ジャハン帝は息子アウラングゼーブに皇帝の座を奪われ、この部屋に幽閉されてしまった。この部屋からは外を眺めると正面のヤムナ川沿いにタージマハルの白い姿が見える。彼は妻の墓廟である
タージ・マハルを見ながら息を引き取ったと伝えられている。
兵舎になった文化遺産
19世紀にイギリス軍に占領されてから、アグラ城は兵舎として使われ、建物の一部が壊された。周囲の建築とは似つかないバラックが建てられていた。現在でも旧兵舎部分はインド軍が管理している。現在は周囲2.4qだが、本来は5qあったという。
この遺跡を管理するインド考古調査局(ASI)によると周りが濠で囲まれているため、湿気による影響があるという。コケや雑草が石の間から生え、石を割ってしまう。また、遺跡が広大で管理が行き届かないという問題点もある。
参考文献:
渡辺建夫『
タージ・マハル物語』朝日新聞社、1988年。
Lall, John; Dube, D.N.,
Taj Mahal & The Glory of Mughal Agra, Lustre Press, New Delhi, 1991.
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