緊急レポート
●見逃せなくなってくる、ロシア極東タイガ破壊の現状
〜タイガの破壊に関するジレンマ(野口 栄一郎/国際環境NGO FoE Japan、ロシアタイガプログラム)
ホットスポット 写真を見る ●失いがたい彼岸の森
広いロシアの東の果て、日本海や北海道には目と鼻の先の、ハバロフスク地方や沿海地方、サハリン州などには、数多くの森林地帯がある。タイガというエキゾチックな名で呼ばれるそれらの森林は、実は日本人にも馴染みの深いエゾマツやカラマツなどが形づくる森だ。南に行くにつれてドングリの木など沢山の広葉樹が混じってくるせいで、実際に足を踏み入れて人の眼の高さで森の中を見渡すと、妙に懐かしい気のすることもある。
この地方のタイガは多くの川を育み気象を安定させてアジア北東部を人や生物の住み良い地方にしてきた。日本人の暮らしに引き寄せて考えても、タイガはやはり重要な森林だ。日本の気候風土は、私たちの知る知らないに関わらず、風や、オホーツク海の流氷を介して大陸やサハリンのタイガの営みの影響と恩恵を受けいるからである。国際的にも、近年では生物多様性の温床として、あるいは、炭素を吸収して貯えるカーボンシンクとして、この地方のタイガの持つ役割に多くの人々の目が向けられつつある。(例を挙げれば、日本海沿岸部のタイガには、トラやヒョウといった大型肉食獣を頂点とする世界的に稀な自然生態系が今も残っているし、ウデゲ族やナナイ族といったこの地方の先住の民にとってはタイガこそが数百年にわたる暮らしと文化の基盤だ。)
そのように重要なタイガが、ソ連時代から現在にいたるまでに木材調達をはじめとする開発によってほうぼうで破壊され、場所によっては回復不能なまでに失われていることが明らかになってきた。
●たかだか数十年の開発で大きく傷ついたタイガ
今回は、タイガにとっての目下の最大の脅威、破壊の原因について書くということで、字数の都合で予備的知識には十分触れないまま本題に入る。
ロシア極東地域の南部のアムール州やハバロフスク地方、沿海地方、サハリン州といった地方に、地球環境保全のため後世に残しておくべきタイガが存在することは多くの専門家が指摘している。また、とくに重要なタイガ林の所在や、それらの保護にかかる費用が明らかになりつつある。(ここ数年間に出された世界銀行や米国開発庁、世界資源研究所などの報告でも、極東地域を含むロシアの森林保全の全地球的意義や、持続可能な利用への転換の必要性・緊急性が述べられている)。だが、この地方のタイガをとりまく現実に目を向ければ、保護どころかむしろ自然林伐採の形での森林開発の激化に向かっており、残る立木を求めて伐採が奥地のタイガへと年々食い進んでいることが分かる。
かつてこの地方のタイガは伐れども伐れども尽きることのない半永久的な木材供給源と言われていたが、それは楽観であったことが早くも目に見える結果となって各地で表れている。いまロシア極東の各地に見られるのは、タイガの保全や持続可能な利用にはほど遠い現実 ─ ソ連時代に森林開発基地としてタイガのそばに築かれ、周囲数十キロの林地を伐採し尽くして丸ごと衰退の一途を辿る都市の数々、幼木や調達される必要のない樹種までなぎ倒されて一面荒野と化したかつての林地、本来はエゾマツなどの針葉樹の多い林地であったところが伐採を経てシラカバばかりの森に変わり、かつての生態系も森林資源としての価値も失ってしまった箇所、予算を削られた営林署が自ら違法な丸太販売を行って食いつなぐ姿、何カ月も給料を支払われなかったため密猟や薬草の盗掘に手を染める自然保護区レンジャー、将来の森林管理を担う人材を育成すべき機関に対する政府の援助の縮小、等々。知れば知るほど深刻にならざるを得ない現実の数々である。タイガは木材の無限の供給源となると考えられていたのになぜ森林資源の劣化が起こったか、生態系が破壊されたか。それを考える場合知っておきたいのは、広大なロシア極東のタイガ地帯にも、実際に資源として利用可能な部分はそれほど多くはないということである。
たしかに、飛行機からこの地方を見おろせば広大なタイガが地平線まで大地を覆っているのが見えるし、統計を見ればこの地方の森林面積や蓄積量が莫大であることも伺い知れる。だがタイガの大部分は奥地にあったり山の急斜面に植わっていたりしていて伐採に不向きな箇所にあり、実際の伐採作業はアクセス可能な限られた箇所で集中的に行われ、結果としてこれらの箇所では森林資源の劣化や破壊、生態系の破壊が起こった。悲劇的であったのは伐採が川の流域部で激化したことだ。川の流域で平坦になっている部分の立木は伐採作業と丸太搬出に向いていたが、このような箇所は野生動物の生息にとって重要であり、タイガの先住民族が昔から狩猟や漁労の場にしている箇所でもある。川縁付近での伐採は水質保全のためさすがに法律で禁止されていたが、野生動物の重要生息地や先住民族の生活の場となっている近隣の箇所でベニマツやエゾマツ、カラマツなどを調達するため次々とタイガの伐採が行われ、丸太を引くトラクターのキャタピラで林床が痛めつけられていった。統計を見て伐採量とこの地方全体の森林蓄積とを比較しただけでは、伐採が環境にダメージを与えてきたとは信じがたいであろうが、実際の伐採が各地で環境を破壊する有り様は、寸鉄人を刺すが如しだった。一例として、この地方のタイガの生態系において大変重要な役目を果たしているベニマツ(チョウセンゴヨウマツ)が日本の木材市場で高く売れたため各地で伐採されて激減、これを見かねたロシア政府が1990年以来ベニマツの商業伐採を全土で禁止しているほどである。また、二年前に筆者が沿海地方で先住民族の暮らす集落を訪問した際も、村人たちは口々に伐採が生活に与える変化を訴えた。曰く、「上流のタイガが伐採されてしまってから川の水量が減り、遡上してくるサケの数が減ってしまった」、「山から吹きおろす風が昔よりも激しくなった」、「山のシカやイノシシが減って、トラが人里に下りてきてウシやイヌを襲うようになった」等々。彼らの集落を流れる川は、極東沿岸部の山脈の東側を流れており、河口は日本海に面している。
●生き残り手段としての伐採
アムール州、ハバロフスク地方、沿海地方、サハリン州など、ロシア極東地域の南部で伐採が激化しつつある背景には、東西冷戦の終結とソビエト体制の崩壊で地域経済をみまった混乱がある。世界的に重要であることが明らかなこの地方のタイガ(ユネスコの世界遺産に登録すべきとの専門家の意見も有り)が、保護されるどころかむしろ手の届く限りことごとく伐採されかねない状態にあるのは、この地方にとって木材輸出による外貨獲得が数少ない生き残りの手段の一つとなりつつあるからだ。
ソビエト時代、モスクワの中央政府は極東地域を冷戦の最前線、および、木材をはじめとする天然資源の供給地として位置づけ、それ以上には開発していなかった。政府は極東地域の木材加工能力の強化には力を入れず、極東地域の木材産業は政府に調達ノルマを課せられて未加工の丸太を鉄道(シベリア鉄道)で国内の他地域に移出させられるか、外貨獲得のために日本に輸出させられるかだった。(ソ連時代、極東地域で調達された木材の25%程度がソ連の他地域へ移出され、20%程度が輸出、残りが地域内で消費されていた。輸出先として最も大きかったのは実は日本で、平均して輸出の八割が日本向けだった。日本向けには最も質の良い丸太が選ばれていたが、それでも日本の商社や問屋からは品質面でのクレームが絶えなかった。)冷戦の終結によって、極東地域の軍需産業が衰退する一方で、木材産業は生き残りのために根本的な方向転換を迫られ、かつてないほどに対日輸出指向を強めた。(旧体制の崩壊で電気料金が国際価格並になったため、それまで行われていたシベリア鉄道による国内他地域への丸太移出は採算割れとなり、1994年を境に実質的に途絶えている。極東地域内の木材需要も減退していることから、否応なしに輸出への依存度が高まり、極東で生産される木材の4割から5割までが輸出に当てられるようになった)。またソビエト時代は国営企業に一本化されていた木材輸出ビジネスが、簡単な登録で誰にでも行えるようになり、手っ取り早い外貨獲得手段であるこのビジネスに数百という数の新規参入者が登場した。これらの企業が目指すのは主として対日輸出であり、現在も極東から輸出される木材の八割程度が日本向けとなっている。
ロシア全体にしてみれば、日本は現在貿易全体の三パーセントを占めるに過ぎないが、極東地域にとって対日木材輸出は年間数億ドルの外貨収入をもたらす最大の経済手段となっている。(木材産業が基幹産業となっているハバロフスク地方にいたっては近年の外貨収入の五割前後が木材輸出によるものとなっているが、最大の輸出相手はやはり日本である)。このように対日輸出を中心に据えた木材輸出がロシア極東地域経済に占める重要性が増大していることが、世界的に重要なタイガへの開発の圧力を高めているのだが、伐採企業や木材輸出ビジネスが民営化され活発化していく一方、今も国営で日々のタイガの管理や防災を行っている機関がむしろ深刻な財政難に陥っている点が辛い。レスホーズと呼ばれる営林署を末端とする政府の森林管理部門は、旧体制の崩壊以来年々政府からの割り当て金が減っている。今では各地のレスホーズはヘリコプターによる火災パトロール・消火活動などの重要な仕事を行えないばかりか、法に反して自ら丸太の販売を行うことすらしている。決定的な問題は、伐採企業や木材輸出企業が挙げている利益が国庫に入ってタイガの保全や管理に十分流れる構造のないことである。伐採企業などが伐採量を少な目に申告して納税額を減らし、輸出企業が受け取る丸太の代金が外国の銀行に開設された秘密の個人口座に貯えられていくことなど少なくない。なにしろ、今では経済の三分の一が「地下を流れる」と言われる国の話だ。
一方で、木材の買い手である日本の側にも、これから極東産の木材の輸入を増大させる状況がある。日本は、いまや木材供給の80%までを輸入材に依存しているが、長年日本市場に入っていた北米産の針葉樹丸太や熱帯産のメランティー(ラワン)丸太などの供給が年々減少しているため、未加工の丸太の供給地を探し求める日本の製材業界や合板業界にとって加工設備の無いロシア極東地域産の丸太が、原材料の新たな選択肢として浮上している。例えば、近年は住宅の構造部に構造用合板と呼ばれる耐久性の高い合板が利用されることが多くなっているが、そうした製品の中で注目を浴びているのがロシアの極東地域やシベリア地域を産地とするカラマツを材料に使った製品である。針葉樹使用合板と呼ばれるこうした製品を、メーカーは「熱帯雨林の木材を使わない環境にやさしい製品」として広告する場合があり、地方自治体では地球環境保全への配慮として公共事業で熱帯材合板を使っていた部分に針葉樹合板を使うことを進めているところもある。昨年は、外国企業による森林開発を認めるロシアの新法に基づいてマレーシアの木材企業が極東ハバロフスク地方のスクパイ川流域のタイガの開発権を獲得しているが、この企業が見込んでいるのも日本の合板用カラマツ材に対する需要である。熱帯材を使わない木材製品は、たしかにある意味地球にやさしいかもしれないが、代わりに材料となったカラマツの産地で起こっていることにも目を向けねば、どれほど地球にやさしいかが分からない。
●伐採労働者のつぶやき
ロシアには、植林で作られた森林は全森林面積の0.1%あるかないかという程度で、残りの森林は所々に未開の原生林を含む自然林である。ゆえに、この国での木材の調達とはつまり、タイガという名の ─ 自然林の伐採である。ロシアの林業法は伐採後の林地のケアや植林を義務づけているが、これが実施されることはまずない。法律が何を定めていようが─、
伐採労働者達は、年々街から遠ざかっていくタイガに向かって、トラックの中、固いシートで何日も揺られてやっとまともな木の生えている所に着く。そこそこの太さ、本数のカラマツやエゾマツが植わっていれば、たとえそこがエゾシカやイノシシやサケや森に暮らす人々にとってどれほど大切であっても、たとえ科学者が重要だと言い、外国の環境保護団体が残せという森であっても、そこがやっぱり仕事場で、あとは片っ端から切り倒していくだけだ。冬はマイナス30度になる気候に耐えながら100年以上かかってやっとそこそこの太さになったカラマツは、次々切り倒されて一本コーヒー一杯くらいの値段で業者に売られる。旧式の重たいチェーンソーを一日10時間以上も使った後では、伐採後の植林について考える気持ちにはなれっこない。これが現実で、取りあえず、一面タイガの木々をなぎ倒したけれど、トラックに載せて持ち帰るのは太い木だけだ。あとの木はみんな現場に置き去りにしていくんで、男達が帰った後はさながら木の死体置き場という有り様で、こうして倒された木々が枯れて乾燥すると山火事の原因になることもある。極東では毎年数万ヘクタールのタイガが火事でやられているが、出火の殆どが伐採現場や伐採跡地からだ。山火事が出ても、最近はもうヘリコプターはあの大きなバケツを運んでこないし、もともと雨の少ない地方なので、自然に火がおさまるのを待つしかない。本当のところどれだけの広さのタイガが火事でやられているのかは、統計に表れてこない ─ 火災の被害は大抵少な目に報告されるから。こういったわけで、次の年の伐採現場はさらに街から遠くなる。家族に会えない日数がまた長くなり、そうやって伐ってきた木も、品質にうるさい日本の会社に買って貰えず港で朽ちていくことがある ─。
●タイガの破壊に関するジレンマ
最後はモノローグになってしまったが、これは様々な事実を見て筆者がロシア極東のごく普通の伐採労働者に代わって日本語でつぶやいたものと考えて貰いたい。
ロシア極東のタイガの破壊に関するジレンマとは、つまり地球上最後の原生林を残す地方に暮らす人々にとって丸太を輸出することが数少ない生き残りの手段になってしまったこと、そして、この地方で伐られた丸太を安く買い続ける国 ─ 私たちの暮らす日本のことだが ─ が、昔からこの地方の森林の豊かさの恩恵を受けてきた国でもある、というジレンマだ。
これらのジレンマの解決にもつながる、タイガの保護、持続可能な利用の実現に向けた専門家の研究やNGOの行う支援活動については今回は敢えて触れず、ジレンマの提起にとどめておきます。もしかしたらこれを読んで下さった皆さんの中から素晴らしい解決策が聞けるかもしれないと期待して。ヒントとして、(1) 木材調達以外に人がタイガで利益を得る手段に目を向けること、それから、(2) 日本に入ってくるロシア産木材の出所や伐採現場の状況について日本の買い手はこれまで「生産者からの情報がなくて分からない」ため、たとえ産地で違法伐採や環境破壊があったとしても「それはロシアの国内問題」といって突き放す立場をとってきたこと、を挙げておきます。とにかく、極東のタイガの破壊は日本と世界にとっても無視できない環境破壊になり、この地方で調達される木材の最大の輸入国である日本が極東の森林管理に力を貸し、木材産業に対しても環境に配慮しつつ利益をあげる方向へ向かうための手伝いをすることは理屈に適い、且つ、やればやっただけの成果が挙がります。(これまでは何も行われていなかった訳ですから)。ここ数年国際的に生まれてきたタイガ保護ムーブメントとその成果については、いずれ今回と同じくらいの分量でもって書く機会を与えていただければと思います。(おわり)
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