国際環境NGO FoE Japan
極東ロシアに初めて定住したのは古シベリア族である。古シベリア族はさらに、主として北部を中心とするチャクチ、ユカギール、コリャク、アジアエスキモー、カムチャツカの各部族、サハリンのニフキー部族、アムール川沿いのナナイ族に分かれる。西暦3世紀を迎える頃には既に、満州族 (ツングース族の一つ) とトルコ族がこの地域に定住し始めていた。満州族にはイヴェンキ、ウデゲ、ウルタ、イヴェニ、アイヌのグループがあり、極東ロシア全域に広く定住した。トルコ族はヤクート族が多く、現在のヤクートのほぼ全体に定住し、レナ川とインジギルカ川、コリマ川の沿岸に大きな集落をつくった。
15世紀にはロシアの商人達が、これらの部族から毛皮の貢ぎ物(ヤサク)を政府に取り立てさせ、黒テンとキツネの毛皮の供給を確保するようになっていた。ロシアの植民地戦略の根底にはこのヤサクの制度があり、"初期の植民地支配、資源分配、軍事戦略、軍隊配備はすべてヤサクを目的に置いてなされた。この制度はその後、毛皮の取引がシベリアの経済生活を支配する時代が終焉した後も長く略奪の傷跡をシベリア社会に残した"。ロシアの商人達は東方に入り込んでくると、村落を占領し、老人達を集め、部族の長を人質にし、彼らにヤサクの制度を取り入れるよう強いた。政府は、各村落が納める毛皮と魚、動物全体の10%を支払い、この制度を続けた。 "先住民が大勢住んでいる場所を見つけると、ロシア人は警戒するどころかおおいに喜んだ。彼らを従属させれば毛皮という税金が大量に転がり込むからである"。
毛皮には大きな需要があり、商人達が諸部族に過剰な捕獲量を強いたためアメリカクロクマ、ホッキョクグマ、キツネ、カワウソ、黒テンの数が破壊的に減少した。過剰な捕獲が行われるとロシア人との間で交易が行われるようになり、それまでなかった道具、矢尻など品物がロシア人から流入するようになった。必要なだけ殺すということではもう満足できなくなった多くの部族は、余るほどの狩猟を行い、毛皮は山と積まれた。このようにして、ライバルの部族が狩猟場に侵入すると部族間の争いに発展し、反目が生まれ、衰亡が早まった。
19世紀末頃には極東ロシアのかなりの部分がロシア人の植民地となつていたが、先住民が狩猟あるいは漁業で暮らしをたて、固有の言葉を持ち、その慣習を守っている地域もたくさんあった。北部のツンドラ地帯には遊牧民が住み、トナカイを生活の糧にしており、トナカイが生息できるこのような地域では、狩猟と漁労がライフスタイルの基盤だった。南部の諸部族は北部の諸部族より定住の度合いが高く、遊牧は狩猟ができるシーズンに限られていた。極北の地域の先住民も完全に自給自足の態勢を維持し、必要なものは全てトナカイから得ることができた。
1920年代初頭以後、共産主義国家の時代に入ると、部族の土地は国有地となり、魚類、木材、毛皮、金を利用して金を儲けるため極東部の工業化が始まった。"先住民の土地は、檻の中の動物をひと突きすれば隅から隅まで残らず取り上げることができた"。国営農場は漁網で河川を遮り、あらゆる規則を破り、季節ごとの漁期のルールを犯し、先住民からその伝統的な食糧を奪った。
スターリンの時代、集産化と強制労働が激化して、先住民は固有の言語を捨ててロシア語を使わなければならなくなった。いわゆる非収益村落は国の手で解体され、そこに住んでいた人々はひとまとめにされて大きな村落をつくらされた。小規模の、自給自足が可能だった社会を失った先住民は以前より大きい村落に住むようになったが、住民全員が食べて行けるだけの食料基盤がなかった。サハリンのニフキー族の例は悲劇的だが、特別なものではない。ニフキー族の人々はリグリキ市とネクラソフカ市に移住させられたが、ここには漁業にも狩猟にも適する土地がなく、アルコール中毒、失業、その他の社会問題が発生するのに時間はかからなかった。
このような悲しい歴史にも関わらず、先住民の中には自分たちの慣習をしっかり守っているところもあり、特に北部の奥地は、少ない人口と未開発の土地に助けられている。直近の国勢調査は1989年に行われたが、極東ロシアの先住民の人口は約88,000で、マガダンとカムチャツカ、ヤクートに最も多い。公式には、ニフキー族とサハリン島のオロチ (ウルタ) 族以外の先住民はみな人口が増加していると発表されているが、大部分の先住民社会には結婚によってロシア人が入り、その文化に適応しているので、この数字は誤解を招くであろう。
最近になって、彼らは権利保護団体を結成した。このような団体が集まって1991年にモスクワで開かれた第一回北部少数民族会議で重要な決議が採択されたが、この中に、政治の一形態として部族ソビエト (部族会議) と長老評議会の形態を復活すべきであるという決議もある。これは、共産主義時代の初期に広く行われていた形であり、理論上は、その土地と村落の行政管理権限をその先住民に与えるものである。先祖伝来の土地をもっと自分たちの力で治めたいという要求は新しい形の保護区、すなわち"伝統的自然利用区域"としても実を結び、既に、合法的な土地管理権が先住民グループに移譲された。この新しい形の土地利用を要求するに当たっては、地域先住民団体が積極的に動いている。例えばハバロフスク地方政府は40以上の区域を伝統的土地利用区域とし、沿海地方では、ウデゲ族の土地の保護を目指してビキン川流域に伝統的自然利用区域を設ける努力を地域先住民団体(PRAIP)が続けている。先住民にとって重要な問題は他にもいろいろあるが、先住民の諸計画に関して地域への連邦補助を増やすこと、先住民の土地と資源利用権を保護する確実な連邦法と地域法を制定すること、もその一つである。
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ロシア極東地域はその45%を森林が占め、その広さは日本の国土の7倍を超す。この森林をどの程度伐採せずに残すか、学者の試算は25%から50%と分かれている。この数値は、他の先進工業国より大幅に高い。スウェーデンとフィンランドでは、長い年月をかけて完成した森林が木材の伐採搬出のために減り、もとの面積の1-2%になってしまった。西ヨーロッパ全体では、もとの森林の1%程度しか残っていない。カラマツ林はヤクート、マガダン、アムール州、ハバロフスク地方に多く、伐採量の62%がここから供給されている。モミ林は沿海地方、ハバロフスク地方南部、サハリン州に多く、木材生産高の約13%を産出する。マツ林は全体の6%、カンバ林は7%、である。林業の関係者はよく"ロシアの森林は増えている"と言うが、これは誤解を招く発言である。大量の伐採搬出と火災により、二次林の落葉樹林ではなく成熟した針葉樹 (トウヒ、マツ、モミ) が、年間約0.8%の速度で森林全体に広がっているからである。
山岳地帯であり、基盤整備もできていないため、伐採搬出のために入れない森林が全体の40%あるが、鉄道が通り、人口の多い地域を初めとして、交通の便の良い場所では既に過度の伐採が相当進んでしまった。この問題には森林分布の不均衡という状況も絡んでいる。北極圏の地域には、極度の寒さのため樹木は事実上育たない。森林の約4分の3は永久凍土地帯にあるが、寒冷な気候と湿度の低さも手伝って樹木の成長と繁殖が制限される。樹木の成長に一番時間がかかるのはマガダン州、一番早いのは沿海地方である。
合計(10万m2) | 針葉樹(10万m2) | |
ロシア極東全体 | 21,257.8 | 17,861.7 |
サハ共和国(旧ヤクート共和国) | 9,413 | 9,136.6 |
ハバロフスク地方 | 5,378.5 | 4,617.2 |
アムール州 | 2,033.1 | 1,644.7 |
沿海州地方 | 1,938.1 | 1,335.1 |
カムチャッカ州 | 1,230.4 | 146.9 |
サハリン州 | 689.7 | 597.6 |
マガダン州 | 574.9 | 383.6 |
極東ロシア南部は沿海地方に初まってサハリン州 (千島列島を含む) 、ハバロフスク地方、アムール地方と続く一帯は、生産性が最も高く、多様な生物が生息する森林を持っている。シホテ-アリニ山岳地帯のウスリー・タイガは最も豊かな森林であり、今もなお未開の分水界を多数秘めている。下にその一部を挙げておくが、極東ロシアには他にも保護を要する古来の重要な森林がたくさんある :
生物多様性の保全
森林保護の重要性
森林保護の重要性については、現在、世界的に認識が深まりつつある。地球上の大部分の動植物の棲み家は森林である。森林は食物を与え、隠れ家となり、先住民も森林から知恵をもらう。気候は森林によって安定し (木材を伐採すると気候変動の速度が速まる) 、侵食と洪水も森林によって抑えられる。森林は清らかな水源を保ち、養分の補給を調整し、淡水と海洋の生態系の中で水温を調節する。我々はこの内の2点に焦点を置きながら極東ロシアとの関係を考えてみたい。
生物多様性は3つのレベルに分けられるであろう。すなわち、1)生態系と生息地の間とその内部の多様性、2)種の多様性、3)種の遺伝的変化、である。生物多様性の保全とは、基本的に、地球上の様々な植物と動物の種が絶滅しないようにすることに他ならない。全ての生物は、絶滅とは逆に豊かに生きることが許されている。ロシアの植物と動物の大部分に棲み家を提供しているのは森林であるから、森林の生態系の保護は非常に大切なことである。人間が生き残るためにも、生物の多様性は保たれなければならない。誰でも知っている通り、例えば農業では、農業や栽培に携わる人は自分の作物を得る根元として様々なな野生種に依存している。野生のコメからいくつかのタイプが失われたら、コメの多様性が狭ばまり、いずれはそのために病気にかかりやすくなり、時とともに収量が減っていくであろう。
土地利用 (木材の伐採、農業、採鉱、石油採掘) により森林が失われることも生物多様性を脅かす一因になる。そのために生息地が細分化され、種の個体数が減少するからである。科学物質による汚染 (例.酸性雨) 、気候の変化、人間による新種の持ち込みなども生物多様性に好ましくない影響を与える。
ロシアは、地球規模の生物多様性保護の必要性を認識し、1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットにおいて「生物多様性条約」に調印した。地球サミットでは生物多様性の必要性を広く訴え、その保護を脅かす影響要因に対処することを諸国が約束した。ロシアと国際社会は様々な機会を捉えて、古来の温帯森林が世界最大の規模で残る場所を擁している極東ロシアとシベリアの広大な森林を守らなければならない。
CO2ガスが地球温暖化の主犯であることは科学者が明らかにしているが、ロシア極東地域の広大な森林はCO2ガスの貯蔵庫の役目を果たしている。ロシア極東地域とシベリアの森林は400億トン−アマゾンの熱帯雨林のそれの約2分の1−の炭素を貯蔵できると推定されている。この二つの大森林の生態系はともに炭素の巨大なシンクとなり、CO2を取り込んで、酸素を放出しているのである。
しかし森林伐採は、CO2ガス放出の多さで化石燃料に次ぎ、ロシアの森林で大規模な伐採が行われると大量の炭素が大気中に放出され、地球温暖化を加速するおそれがある。このことには、森林伐採をどう行うかが大きく影響するのであり、持続可能性を重んじ、選んだ樹木のみ伐採し、森林の多様な構造を破壊せずに残せば、CO2放出量は最低限度に抑えられる。しかし、皆伐−ある場所の木を全部切り倒すこと−を行うと大量の炭素が放出されるだけではなく、森林の構造が破壊されるために、森林の炭素貯蔵能力が落ちる。一般に考えられているのとは逆に、植林しても土壌に "炭素を呼び戻せる" とは限らない。よく管理されている植林プランテーションに蓄えられている炭素の量は、未開の森林の3分の1ないし2分の1と推定されているのである。
CO2の他、メタン・ガスもロシアの森林から放出されており、その温暖化作用はCO2の20倍も強い。ロシア極東地域の森林の約4分の3は永久凍土にある。永久に氷が溶けず、水分を蓄えている土地にこの森林は依存しているのである。乾燥した夏が訪れると、永久凍土が溶け、樹木と周辺の植生に水分と養分が送られる。冬が来ると再び凍り、水分が蓄えられる。北の森林にとってこの自然の移り変わりを欠くことはできない。
大規模な森林伐採が行われるとこの永久凍土が直射日光に曝されていつになく溶け、森林だった場所がどんどん沼地化する。普通、永久凍土では、樹木が枯れても分解せず地上に堆積するが、永久凍土が沼地化すれば枯れ木という有機物は急速に分解し、植物物質からも永久凍土からも中に閉じこめられていたメタンが放出される。永久凍土で覆われた地域には大量の伐採が行われた場所が多数ある。が、生き返った所はない。科学者はまた、地球の温暖化が進めば永久凍土の溶解も広がるだろうと警告を発している。メタン・ガスが放出されると、ひいては地球の温暖化が進み、悪循環が続くことになろう。
行動を起こす時間はまだある。森林伐採を止めること、特に皆伐を止めること、化石燃料の使用を段階的に中止すること、も重要対策の一つである。同時に、極東ロシアとシベリアには、土壌中にCO2を蓄えることにより気候変動を最低限度に抑えるのを助ける広大な原生林を保護し、大規模な伐採から永久凍土を守るという独自のチャンスもある。広大な土地を保護すれば、気候の変動に応じて移動する動物達に生息地の回廊を与えてやることができる。
無駄の多い方法 開発が遅れる加工業 拙劣な伐採方法 森林規制の施行不徹底 |
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