パッタダカルの建造物

(文化遺産、1987年指定)
Group of Monuments at Pattadakal


建築スタイルの混在
   カルナータカ州北部のパッタダカルは現在は小さな農村であるが、チャールキヤ朝(6世紀−8世紀)の代表的な寺院建築が集まっており、往時の繁栄ぶりを偲ばせている。パッタダカルは7世紀中頃からチャールキヤ朝の首都になっただけでなく、王の戴冠式を行うなど宗教上神聖な場所でもあった。
ナンディ
写真63 ヴィルパクシャ寺院の正面にあるナンディの像。ナンディはシヴァ神に仕える牡牛。ウシは荷物を運び、畑を耕し、その乳は貴重な栄養源となる。糞は燃料として重宝される。ウシは古代から非常に大切にされてきた。ヒンドゥー教ではウシを決して殺してはならないと教えられている。インドには2億5千万頭以上のウシがいると推計されている。


清掃
写真64 ヴィルパクシャ寺院の清掃作業。アンモニアを水で溶いた液で表面を洗う。
   パッタダカルの建築はヒンドゥー教初期の段階から成熟期の段階へと進む変化の過程を示しており、建築史上の価値も高い。
   ここには本殿部分(シカラ)がピラミッド型をしている南インド型と、砲弾のような形をしている北方型の寺院が混在している。寺院群は7世紀末から8世紀中頃にかけて建設された。
   北方型の代表的なものはガラガナータ寺院、パーパナータ寺院である。ガラガナータの本殿屋根は典型的な砲弾型である(写真66)。パーパナータ寺院は入り口から前殿、中室、本殿と3つの部屋に分かれており、その部屋の配置から、最も新しい建築であると考えられている。
   南方型ではヴィルパクシャ、マリクアルジュナ寺院で、本殿の屋根がピラミッドのような四角錐の形をしているのが特徴である。チャールキヤ朝は現在のマドラス周辺やマハバリプラムを支配していたパッラヴァ朝と領土を巡って対立しており、戦争によって敵の都カンチプラムを占領した。チャールキヤ朝の2人の王妃は勝利の記念としてヴィルパクシャ寺院を建立した(8世紀)。この寺院はパッタダカル寺院群の中で最も大きく、世界遺産マハバリプラムの海岸寺院の様式の流れを汲んでいる。パッラヴァ朝を征服したことにより、チャールキヤ朝には当時の先進建築様式がもたらされたのである。寺院内部の柱には叙事詩ラーマーヤナの場面が浮彫でつづられている。寺院正面にあるナンディ牛堂には、鐘が吊され、ナンディには袈裟が着せられている(写真63)。今でもヴィルパクシャ寺院は村人の信仰の対象として生き続けている。
Vishnu 写真65 ヴィルパクシャ寺院の壁に彫刻されたヴィシュヌ神。ヴィシュヌ神が世界を三歩で闊歩したという神話をモチーフにしている。

関連情報
   カルナータカ州都バンガロールから北へ車で1日。大西洋岸のゴアから近くの町バダーミーまで列車で1日。パッタダカルには宿泊施設はないためバダーミーを拠点にすることになる。バダーミーにもチャールキヤ朝の寺院群があり、特に4つの石窟寺院はシヴァ、ヴィシュヌが登場する神話の場面を描いた浮き彫りで知られている。

参考文献:
Michell, George, The Hindu Temple: An Introduction to Its Meaning and Forms, 1988. 神谷武夫訳『ヒンドゥ教の建築 ヒンドゥ建築の意味と形態』鹿島出版会、1993年。


ガラガナータ
写真66 ガラガナータ寺院。砲弾型の本殿は北インドに多く見られる様式である。

サンガメーシュワラ
写真67 サンガメーシュワラ寺院(8世紀初頭)。写真左手部分の聖室は屋根がそれまでの寺院よりも発達し、高さが加わった。ピラミッド型の屋根には小さな祠をモチーフにした装飾が施されている。

インド編目次に戻る



地球・人間環境フォーラム