建築様式の実験場
建築方法は大きく分けると、@1枚の花崗岩塊から掘削した岩石寺院、A岩を洞窟状に掘り進んだ石窟寺院、Bブロック状の石を積み上げた寺院、C岩を利用した浮き彫りがある。多様な建築方法が試みられ、美術史では「建築様式の実験場」として位置づけられている。後の寺院スタイルに影響を与えた点、数々の素晴らしい彫刻により世界遺産に指定されている。
寺院群から少しはなれたところに五つのラタ(ヒンドゥー教で神が宿る山車を意味する)と呼ばれる岩石寺院が5つある。ラタは本来は木造で、現在でもインド各地の宗教行事には木造のラタを大勢で牽いて町や村を練り歩く光景が見られる。マハバリプラムの五つのラタは木造のものを永遠化するために石で表現したといわれている。ダルマラージャ・ラタ、ビーマ・ラタ(写真49)、アルジュナ・ラタ、ドラウパディ・ラタ、ナクラ・サハデーヴァ・ラタなど、それぞれの名前は大叙事詩『マハーバーラタ』(1)の主人公の名であるが、これは後世になってつけられたものだ。
写真49 ビーマ・ラタ。屋根は木造建築の形が石の彫刻でも表現されている。もともと木や草で作っていたラタを石に置き換えることにより、永遠化されたという建築史的意味がある。
神話の世界を描いた浮き彫り
寺院群の中心である花崗岩の丘にはいくつもの石窟寺院があり、内部には神話をモチーフにした浮き彫りが見られる。
注(1)マハーバーラタ:18巻よりなる世界最長の叙事詩。領土戦争にまつわる王国の物語だが、数多くの神話、物語、伝説が挿入されている。インド文化に与えている影響はきわめて大きく、美術作品でもマハーバーラタの一場面がしばしば取り上げられる。
写真50 アルジュナの苦行(別名:ガンジス川の降下)。世界最大の浮彫りである。丘の斜面に剥きだしになっている花崗岩の1枚岩が彫刻に利用された。
石窟内にある彫刻にもインド美術史を代表するものがいくつかある。ヴィシュヌ・マンダパ(寺院)には横になるビシュヌ神(2)の彫像やヴィシュヌ神が傘で人々を嵐から守る姿が彫られている。傘の下で農民は踊り、歌い、牛たちは平和に暮らしている。特に、牛の乳絞りをする農民の彫刻は有名で、乳を絞ってもらっている雌牛は子牛の背中を優しく嘗めている(写真51)。
注(2)ヴィシュヌ神:ヒンドゥー教の主神の一つ。世界の安定と維持を司る神で、神話では全宇宙を三歩で跨いだという。ヒンドゥー教成立以前からの神で、その発展とともに今日まで土着の神々を取り込んでいった。その結果、ヴィシュヌには多くの化身が生じた。魚の化身、亀の化身、猪の化身、人獅子(ナラシンハ)の化身、倭人の化身、ラーマ(叙事詩ラーマ・ヤーナ)の化身、パラシュ・ラーマ(斧を持つラーマ)の化身、釈迦の化身、クリシュナ(牧童と愛の神)の化身、ジャガンナータ(オリッサ地方の神)の化身などが代表的である。ヴィシュヌは千の頭を持つアナンタ蛇に座り、円盤(チャクラ)、棍棒、法螺貝、蓮華を四つの手それぞれに持っている。
波の浸食にさらされた海岸寺院
海岸には石積みの海岸寺院がある。ピラミッド型屋根スタイルは後の寺院建築の先駆けとなった。前殿にはヴィシュヌ神が横になっている彫刻が奉られている。本殿にはシヴァ神の像が置かれている。ヒンドゥー教ではシヴァとヴィシュヌが一つの寺院に一緒に祭られることは少ない。
この寺院が建設された当時は今ほど海岸に近くなかったのだが、海岸線が浸食により後退したため、波に洗われる程、海に近づいてしまった。潮風や波の浸食は著しく、彫刻は輪郭が分かりにくくなっている。1990年、インド政府は海岸寺院の周りに堤防を築き、植林を行った。その結果、浸食を最小限に押さえることに成功した。
参考文献:
長谷川明『インド神話入門』新潮社、1987年。
Sivaramamurti, C., Mahabalipuram, Archaeological Survey of India, New Delhi, 1992.